先日、「天命祭」というプロジェクトの一環で開催された上映会に参加しました。

その時間の最後に、100名ほどの参加者みんなで体験したのが【産道体験】でした。

両側にずらりと人が並び、その間にできた花道を「産道」に見立てて、一人ずつ歩いていきます。

目を合わせ、ハイタッチをしながら、「おめでとう♪」 「いってらっしゃい♪」と、満面の笑みで送り出してもらう。

私も、「ありがとう♪」 「いってきます♪」と、一歩ずつ前へ進みました。

そして、産道を歩き終えた瞬間。

私の中にあったのは、ただただ、“歓喜”でした。

嬉しくて、

楽しくて、

身体中から喜びが溢れてくる。

「命って、こんなにも喜びに満ちたものだったんだ。」

まるで、命のお祭りのようでした。

「生まれてくるのが楽しみだった」

その時、私の中に浮かんできた感覚がありました。

まだ肉体を持たなかった頃、地球へ行くことを選び、 母のもとへ行くことを選び、「いってくるね♪」と、たくさんの存在に見送られながらやってきたような感覚。

母の子宮から産道を通って外へ出る時も、母に会えること、 この世界に出会えることが、楽しみで仕方なかったような感覚。

もちろん、これは科学的な事実としてお伝えしたいのではありません。

産道体験を通して、「私の身体や魂は、そう感じている」と思った、私自身の体感です。

「すっごく楽しかった!」

この日、偶然隣の席になったお母さんから、こんなお話も聞きました。

その方のお子さんは、生まれる時にへその緒が首に巻きついていたそうです。

お母さんはずっと、「苦しい思いをさせてしまったのではないか」と心に残っていたそう。

けれど、幼い頃に出産時のことを尋ねると、お子さんは、「すっごく楽しかった! 楽しかったなぁ〜!」と話したそうです。

お母さんはあまりに予想外の答えに拍子抜けすると同時に、とても安心したと話してくださいました。

そのお話と、 私自身が産道体験で感じた“歓喜”が重なりました。

生きている。それだけで、もう。

私はこの日、

「自分の意思でこの世界へやってきて、 自分の意思で生きようとしてきた。」

そんな感覚を、身体いっぱいに味わいました。

そして思ったんです。

もし、生まれてきたことそのものが歓喜だったなら、何かができるから価値があるのでも、 誰かに認めてもらえるから価値があるのでもない。

学校へ行ける日も、 行けない日も。

頑張れる日も、 何もしたくない日も。

笑える日も、 泣いてしまう日も。

今日、ここに生きている。

その命そのものが、

すでに大切な光なのだと思います。

輝きあい舎では、「一人ひとり、すでに輝きがある」ということを大切にしています。

輝きを新しくつくるのではなく、

もともと自分の中にあったものを、

もう一度思い出していく。

この日の体験は、

私自身にそのことを改めて思い出させてくれました。

あなたは、独りじゃない

以前、「生まれる時も、死ぬ時も独り」という言葉を聞いたことがあります。

けれど、今回の体験をした私は、

もうそうは感じません。

一緒に喜んでくれる人。

応援してくれる人。

ただ隣にいてくれる人。

目に見えるかどうかにかかわらず、生まれる時も、 生きている今も、私たちは、

たくさんのつながりの中にいる。

私は、そう感じています。

もし今、学校へ行くことが苦しかったり、人と比べて

自分を嫌いになっていたり、

「このままでいいのかな」と思っていたとしても。

今日すぐに、

答えを出さなくて大丈夫です。

学校へ行けても、行けなくても。

勉強ができても、できなくても。

元氣でも、元氣じゃなくても。

あなたの価値は、 何一つ変わりません。

そして、あなたが今日ここにいることを

喜んでいる人がいる。

そのことだけは、

心のどこかに置いておいてもらえたらと思います。

もし今、

一人では抱えきれないほど苦しいのなら、一人で何とかしようとしなくて大丈夫です。

家族や友人、信頼できる人や相談できる場所など、

あなたが安心して話せる人を頼ってください。

「助けて」「しんどい」「どうしたらいいか分からない」

そんな言葉を、誰かに渡してもいい。

誰かの力を借りながら、

生きていいんです。

生まれてきてくれて、ありがとう。

今日まで生きてくれて、ありがとう。

そして、これからも。

急がなくていい。

誰かと一緒でもいい。

あなたのペースで、 歩いていけますように🌈